2013年6月14日金曜日

第583回 バンコク・スリウォン ロータリークラブ 例会

第583回 バンコク・スリウォン ロータリークラブ 例会


2013年6月11日

ゲストスピーカー:馬場様(株式会社ラスターグレースCEO)


■ゲスト
東京北RC 和田様

東知多RC 安藤様

山田Rtn.御友人 赤城様、岩井様、杉原様

ゲストスピーカー 馬場様(株式会社ラスターグレースCEO)



■塩谷会長 報告

(理事会報告)

7/2のインストレーションパーティーについて話し合いました。詳細は別途メールで連絡致します。現在の参加予定人数はメンバー外が37名、メンバーが12名、約50名です。当日はインターコンチネンタルホテルのバンケットルーム2つを使い、最大約60名収容可能です。部屋は予約完了です。



(100%出席者について)

100%出席者:飯田PP、政岡次期会長、中島幹事、塩谷会長、スモンPP、梅村Rtn.の6名です。7/2に表彰を予定しているが、メンバーであとわずかで100%出席になる方がいます。今月の他のRCインストレーションパーティー出席もカウントされますので、是非ご参加及び100%出席達成してください;



小田原AG:あと1回、山口Rtn.:あと1回、山田Rtn.:あと3回、西川Rtn.:あと2回、鈴木Rtn.:あと2回、古西Rtn.:あと2回、WIM AG:あと4回



(自転車贈呈プロジェクト)

年間5回を予定していますが、うち3回の支援可能RCが決定しました。芦屋川RC、2770地区(2回分)、せせらぎ三島RCです。また、群馬境RC、鈴鹿City RCからも支援について問い合わせをいただいています。今後連絡を継続いたします。



(図書支援プロジェクト)

名古屋東南RC、北海道美瑛RC、行橋RC(30周年記念事業)、浮羽RCより支援可能の御連絡を頂きました。ありがとうございます。



(浄水器支援プロジェクト)

浮羽RC、2620地区、2700地区、天童東RCより支援の御連絡を頂きました。ありがとうございます。



■中島幹事 報告

(スリウォンRC会員名簿)

7/2のインストレーションパーティーまでに完成予定。



(図書支援について)

2500地区、北海道美瑛RCより支援金を頂けることになりました。7/16の例会に支援金贈呈を予定しています。



■塩谷会長 Make Up報告

6/6、バンコクRCのインストレーションパーティーに出席しました。同RCの「ちえみ」様は再来年会長を務めることが決定。同RC83年の歴史で初の日本人会長の誕生とのことでした。



■ゲストスピーチ 馬場陽子様(山田Rtn.御紹介。タイ語通訳、会社経営)

(馬場様自己紹介)

 大阪出身。最初にタイに来たのは25年前の語学留学。1980年~1990年当時はまだ日本では留学が今ほど盛んではなかった時代でした。

 留学の動機は当時憧れていた男性がいて、その方がアメリカ留学経験者であったこともあり、自身も留学という経験を得ることによってその素晴らしい方に少しでも近づきたい、と思ったことでした。

 当時の留学はYFUとAFS(American Field Service)の選定試験を受けて留学、という流れが主流であり、私は後者のAFSでタイへ来ました。

 留学準備としてAFSにて共同生活、選抜試験を経て、各国に振り分けられるのだが、私はそこでアジア行き、タイ行きが決まった。400名くらいの留学生のうち、英語圏に行くのが350名程度、ヨーロッパなどの非英語圏は約50名だったが、タイへの留学が決まったのは私を含め7名。



(タイを選んだ理由)

 日本での学生時代、学校にマレーシア人の留学生と接点があり、その留学生は非常に日本に馴染み楽しんでいた姿を見てアジア人同士はやはり馴染みやすいのでは、と感じたことがきっかけでした。この留学生によって初めてアジアを意識しました。



(ナコンパトム県でのホームステイ)

 何も知らない高校生での初留学。ホームステイ先は農村部のナコンパトム県。家族構成も複雑な家庭でタイ生活を開始。初めてのタイの家庭でお風呂の入り方も良くわからず大変苦労した。

 ホストファミリーは日系会社勤務のお父さんとその妾さんだった。お父さんは週末に農村に帰ってくるので基本的には田舎のそのホスト先と近所の方々とのお付き合いが中心。もちろん英語も日本語も全く通じない環境で、勉強もどうしたら良いかわからない日々だった。

 タイ語のあいうえおに当たるコーカイも近所の工場勤務のおばさんに鍛えられマスター。

 ダイレクトメソッドのみの過酷な環境もあって、日常会話は3ヶ月くらいでマスターし、徐々にタイに慣れて、1年後には完全にタイにはまり日本に帰国したときは逆カルチャーショックに陥ってしまった。



(タイ語を教える)

 タイ留学を経て高校を卒業後、タイ語専攻の東京の大学に進学したが自身のタイ語が教授より上手いので逆に大変だった。

 日本でもタイ人と知り合う機会も増えて付き合いをしていたが、基本的に日本にいるタイ人は皆エリートであり、私のタイ語が少々都心部のタイ語とは違うことに気付く。農村のタイ語は少々違ったようだった。

 大学卒業後、東京でタイ語を教える仕事をしていたが、地元大阪に帰郷することになり、大阪でタイ語の仕事を探すも東京より仕事がなかった。理由として大阪人は外国語を「日本人」から習うことに対し抵抗があるため。

 しかしながら、大阪教育大学で公開講座にてタイ語を教える仕事を得て、更にはタイ語の本も作成。

 このタイ語の本も自身プロデュースで巷にあふれているタイ語テキストとは異なる「本当に使う、本当に会話で出てくるタイ語」にスポットを当てて作り、この本が非常に売れた。

 本の影響もあり、タイ語教師としての仕事も増えました。



(タイ語通訳)

 VIPの通訳等もさせて頂いていますが、一番歴史の長い通訳は不法滞在者などへの取り調べ通訳の仕事でした。不法就労、滞在者の通訳をすることにより田舎のタイ人の気持ちがわかったり、自身の農村でのタイ人と過ごした経験もあり仕事は上手くできたと思います。

 地検、警察署、留置所、全てでタイ語通訳をした経験があります。



(独立へ)

 一冊目のタイ語の本が良く売れ、もっとタイ語を日本の方へ届けたいという思いもあり日本にて活動を行っていたが、実はタイ語を本気で学習したい日本人はタイに多く存在し、その方々を対象にした仕事を志し、現在日系企業と契約をしてタイに会社を立ち上げて事業を行っています。日本人へタイ語を教える仕事の需要はタイでは現在非常にあります。

 通訳としてアマタコン工業団地にてVIPの方へ通訳をした際、その方も私の通訳の仕事に満足されたことをきっかけに、一流大学を出ていなくてもタイ語を仕事として生きていけるという自信になった。迷いがなくなりました。



今後も皆様のお役にたてるよう頑張りたい。よろしくお願いいたします。



■ オークション 1,160THB



■ ラッキードロー 梅村Rtn.






0 件のコメント: