2017年10月23日月曜日

第791回バンコクスリウォンロータリークラブ例会(2017年10月17日)

第791回バンコクスリウォンロータリークラブ例会(2017年10月17日)
@インターコンチネンタルホテル4階

【メンバー出席者】
飯田光孝元会長、中島元会長、鈴木会長、小田原元会長、山田様、
飯田直樹元会長、栗並様、立川幹事

19時開会点鐘
国歌斉唱(タイ・日本)
ロータリー4つのテスト

【VISITING RTN】
御殿場RC 井上様
加古川RC 保地様

【GUEST】
三石晃生様(ゲストスピーカー)
安田 すみえ様
熊澤 友紀子様
磯村 大樹様
村田 知弘様

《誕生日・記念日》
藤江様
森場様ご長女ミカさん

《鈴木会長より・会長報告》
皆様、こんばんは。本日、17時より委員会活動、18時より理事会を実施致しました。後ほど、立川幹事より詳細ご報告させて頂きます。

~Hug & Shaking Hands~

来週24日は、前国王様の国葬を控えていることで、休会と致します。
私はタイにて日本酒・焼酎・サッポロビールの輸入を実施しています。10月1日は、日本酒の日でございましたが11月1日は焼酎の日となっております。近年、日本酒に関しては、世界的な認知度も向上してきており、先週はパリにて「サロンドサケ」といったイベントが開催されました。昨年は、私も参加して参りました。日本酒を楽しまれる方が、世界中に広がってきているのではないかと感じています。私共も、タイの飲食店様において、1日の日に、日本酒で乾杯をするといったイベントのお手伝いをさせて頂きました。11月1日の焼酎の日には、乾杯を伴うような会は実施せず、各飲食店様で積極的なプロモーションをしてくださるとのことでございまして、バンコク市内の和食店で、焼酎のプロモーションなどを見かけることがあるのではないかと思います。日本文化としての、日本酒・焼酎、是非とも、宜しくお願いします。ただ、フランスのワイン輸出量と比較した際に、日本のお酒の輸出量は2%となっています。まだまだこれから、正しく拡大させていきたいと考えています。宜しくお願いします。

≪立川幹事より委員会・理事会報告≫
こんばんは。最近タイでは雨が多く、体調を崩されている方が多いと伺っています。皆様も体調管理には十分ご注意ください。私からは、理事会の報告となります。
直近のスケジュールの確認です。24日は、荼毘に付されるということで、休会となります。31日は、通常ファミリーナイトの予定でありましたが、24日が休会のため、通常例会を実施することとなりした。11月はイベントが多いです。11月10日、コーン県にて贈呈式。参加者は、現状3名となっています。11月12日に、自動車整備センターの方がいらっしゃり、夕食会を予定されています。翌日、13日は整備センターの方と一緒に、日本大使館へと表敬訪問をさせていただきます。その後、社会福祉局へと伺います。併せまして感謝状をいただける予定と伺っています。11月14日は、理事会です。21日は、ガバナーが当クラブを訪問されます。16時30分にいらっしゃるとのことです。27日がウドーンターニー県にて自転車の贈呈式です。200台の自転車、3台の浄水器をお贈りします。28日が、通常例会の予定となっています。その他、徳山イーストRCとの、2月のRIに申請中、結果待ちといったステータスです。
プロジェクト資金を、円かバーツのどちらかでやり取りするかというお話でありましたが、今後は、基本的にはバーツで請求していただく形に決定いたしました。お客様側が、日本円を希望した際には、別途相談させていただきますが、原則はバーツとなります。
次に、福井あじさいRCより、当HP経由にて、浄水器と図書の寄付を承っております。
最後に、来年の活動内容としまして、より我々のクラブを盛り上げて多くの人に知っていただくために、もっとPRしていくべきではないかとの議論が為されました。そこで、講演会のような形で集客を実施するのはどうかといった案が出ました。あくまで仮決定ですが、1月30日に、このメンバーで講演会を行う予定です。そして、より多くの人にきていただいて我々の活動を知って頂きたいと考えています。5月29日には、鈴木会長によるお酒の会を実施する予定です。一人でも多くの方に参加していただきたいと考えております。ウクライナのクラブにメイクアップさせて頂いた際に、クラブの方々で地ビールを作っているといった活動を知りました。日曜日に振る舞い、多くの方々から反響も良かったようです。そのことから、お酒とRCの相性は良いのではないかという印象を受けています。積極的に、当クラブを盛り上げていきましょう。宜しくお願いします。

≪小田原元会長より、自転車委員会報告≫
皆さん、こんばんは。自転車委員会の今後のスケジュールの確認となります。
119回、11月27日、ウドーンターニー県から始まります。こちら、年に2回の大きな贈呈式を実施していますが、そのうちの1回となるかと思います。自転車をウドーンターニーの小学校へ贈呈することと併せて、4台の浄水器支援、せせらぎ三島RC、浦和中RCと共に、実施致します。119回に合わせて、12月8日、にサコンナコーン県にも100台の自転車を贈呈して参ります。本年度の予定は以上となりますが、来年の予定も併せて共有いたします。
120回サラブリー県に1月15日。121回目が、2月26日ソンクラーン県、122回目が、4月23日ピッサヌローク県となります。123回目が、6月に社会福祉局に贈呈。124回目が、3月にアユタヤ県。125回目、5月にマハーサーラカーム県。また日程は未だ決定しておりませんが、126回目にナーン県に贈呈予定となっています。以上となります。

《ゲストスピーカー・三石晃生様》
皆様、こんばんは。私の外見から、何を実施している人なのだろうと、違和感を覚えた方も多いのではないかと思います。私は、歴史学者であります。皆様は、埼玉三偉人といった方々をご存知でいらっしゃいますでしょうか。1人は、渋沢栄一、2人目は、日本で初めて女性の医者となりました荻野吟子、もう一人が塙保己一(はなわ ほきいち)といった国学者であります。時は江戸時代にご活躍された方で、目が見えない方でありました。目が見えないのですが、非常に博覧強記であったことで有名であります。一度聴いたら記憶できるといった能力を持っていました。日本中にある書物を、自らの頭の中に入れ、それらを、ほぼ正しい形に復元できるといったこともあったようです。
昔、日本は漢文というものがメインの学問でありました。漢学が、国の教える学問の中心であったということです。しかし、江戸時代の中期以降になってくると、和学といった、自分たちのルーツに迫る学問へとシフトしていきます。歴史を知るといったことは、昔は、中国の歴史を知るということでありました。中国の歴史をマスターすることが当時の教養人でありました。ただ、和学といった動きは、我々は、中国人ではなく、自分たちの出自をもっと知っていこうといった動きであります。この起源は、水戸黄門であったと言われています。水戸光圀といった方は、日本で最初に発掘を始めた人として有名です。下侍塚古墳といった古墳を発掘されたのです。発掘し、図面をとり、桐の箱に収め、もう一度封印していくという、極めて近代的な「現状維持」といった研究手法を用いて分析した方であります。そういった考古学、国文学なども含めまして、国学と言うことができます。国学者・塙保己一が創立した、和学講談所は、東京大学史料編纂所と温故学会といった学会・組織に分かれます。その温故学会といった場所にて、幹事・主任研究員をやっておりますのが、私であります。歴史学者であります。
ヘレン・ケラーが、最も尊敬していた人物が、塙保己一であったと言われています。彼女は、母親から、塙保己一の話を聞き育ちました。日本に来て色々な場所を表敬訪問しますが、彼女がどうしても行きたいところがある、といって訪れて下さった場所が温故学会であります。渋谷の國學院大學の隣にあり、建設してくださった方は、渋沢栄一です。彼女は、2度、温故学会を訪れてくださっています。現在、ヘレン・ケラー財団が、設立100周年を迎えるにあたり、塙保己一に関する執筆を行ってほしいという依頼を受け、次週までに書き上げる作業を実施している最中でもあります。
また、お酒の話が先ほど出ましたので、そちらにも少し触れさせていただければと思います。私は昔、飲食店を経営しておりました。その際に、焼酎を作ったりもしていました。また、私は神主でもあります。神主のクラスとしてはトップのものを保有しています。浄階(じょうかい)、明階(めいかい)、正階(せいかい)、直階(ちょっかい)という4ランクありまして、私は明階という位の神主となります。具体的な例を挙げますと、伊勢神宮の宮司になれる資格であるということです。お酒と、神道の歴史というものは、非常につながりが深とがあるかと思いますが、あまり触ってはいけないのです。昔は、杉玉は三輪山という奈良県にある山の杉を使って作成されていました。酒造りというものは、三輪山の神と非常に深い関係にありました。ですが、三輪山の神は非常に嫉妬深く、色情が強いこととして有名であります。この三輪の杉を使って、杉玉を作るのですが、杉玉に触ると恋愛が叶わなくなると昔は言われていたのです。枕草子の中にも記載がございます。清少納言の彼氏であった、藤原行成(ふじわらのこうぜい)という「三筆」とよばれる平安時代の三人の字の美しい一人と、清少納言は結婚するかと思いきや、気持ちに変化が現れます。その時に、清少納言が書いたのが、「あなたがこの前、天皇とお出かけに行った際、あなたは三輪山の杉を触ってしまったようですね」といった内容のものを残されたと言われています。ですので、私たちは別れましょう、といった手紙を残していたとのことであります。今は、三輪山の杉は使ってはいませんが、もし、杉玉を触っている人を見た際には、私は、「あの方は、失恋するんだろうか」、と感じたりもします。
践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)という天皇の即位後初めて行われる祭がございます。大嘗祭は古い神道の儀式、あるいは食文化を残しています。そこで出てくるお酒は、白酒(しろき)と黒酒(くろき)といったお酒です。白酒、黒酒とかいて、しろき、くろき、と読みます。当時の白酒と黒酒は、何に入れ、飲まれていたと思いますでしょうか。笹の葉っぱで
飲んでいたといわれています。笹の葉っぱを巻き、粽を入れるような、角状にして飲まれています。とは言っても、そのような形状では、お酒が漏るのではないかと考えられる方もいらっしゃると思います。いかにも、皆様がお考えになるお酒であれば漏ると思います。お酒を造るときには、醸すという言葉を使います。醸すということは、「噛む」という行為が由来であると言われています。いわゆる口噛みのお酒です。ヨーロッパのぶどうは、糖分がありますから普通に発酵ができます。但し、お米・白米をつかった場合には、それができません。でんぷん質分解酵素であるアミラーゼ、つまり我々の唾液にて糖化させ、それを発酵させないことにはお酒となりません。この白酒と黒酒というお酒は、口の中で噛んで戻して、どろどろのものになるので、容器が笹の葉であったとしても漏らなかったということです。余談が長くなりましたが、本題に移らせていただければと思います。本日、お話させて頂くのは「石田梅岩(いしだ ばいがん)」の話となります。日本人の方でも、石田梅岩をご存知の方は、あまり多くありません。本名は、石田勘平といいます。彼は、丹波の国・篠山藩の、農民の出身であります。そこから、呉服問屋に丁稚奉公で入り、番頭まで上がり、45歳の時に、「私が思う商人道を唱えるのだ」と言い、自らの著作を書き、世の中を問うた人物でもあります。詳細のお話の前に、時代背景についてお話致します。時代は、元禄が終わり、享保となります。元禄というのは、江戸時代の中で、とても景気が良かった大きなバブル時代であります。何をやっても、上手くいった時代でありました。紀伊国屋文左衛門も元禄の時代の方であります。その後、元禄のバブルが崩壊し、享保の時代へと移ります。いわゆる徳川吉宗の時代です。日本は未曽有の不景気に陥ります。そこから江戸幕府はどんどんと下向きになっていきます。吉宗は、名君と言われましたし、確かに尽力しました。しかし、効果としては、残念ながらといったものであったとも伝えられています。徳川家が、たくさんの子供ができ、田安家や、一橋家、新御三家は、吉宗の子であります。吉宗が色々と尽力しましたが、効果があまり上がらず、且つとても大きなデフレの時代でありました。大店の7割近くが倒産した時代であったとも言われています。
当時の日本人の人口は1,600万人でした。何故このように少ないのかと言いますと、戦国時代といった時代であったからであります。そして、元禄になると3,200万人から4,000万人ほどにまで増えたと言われています。その後、享保の時代になると、人口は、2,400万人にまで落ち込みます。今、現代の日本も、同様の状況かと思います。日本人の人口は、1億人を切ったのではないかと思います。25年後には、日露戦争の頃とほぼ同じ人口になるとも言われています。当時の時代背景と重なる状況もあるかと思いますので、お話致しました。そんな、享保の時代、吉宗の時代でありました。人口が減っていますので、当然社会活力は少ないです。先行きが不透明で、国民の自信が喪失している。どうやって生きていくのだ、というテーマが時代全体の中にありました。そんな中、私は単なる商人で終わってはいけないのだ、と思って立ち上がった男が、石田梅岩であったということです。
当時の商人は、どういった方々だったのでしょうか。非常に忌み嫌われた存在であったと言われています。当時の一流の学者に荻生徂徠(おぎゅう そらい)という人物がおりました。この方は漢文のプロフェッショナルでありました漢学者です。彼はこのように言っています。「商人は不浄である渡世をするもの故、商人が潰れるは構いなし」と。商人というものは、右のものを取り、左に渡すときに中間マージンを得る、そういった人間である、と。そんな小汚い人は、潰れてしまえば良いのだというのが彼の意見でありました。彼の意見というよりも、社会全体も、商人をそのように捉えていた時代であったのであります。そういった時代において、「いや、そうではない」と、自らが無料のゼミナール形式の講義を開き、尚且つ、本まで著したのが、石田梅岩といった方でありました。この方は『都鄙問答(とぎもんどう)』といった書物を書きます。彼が45歳のとき、社会の中に蔓延していた商人蔑視の風潮に対して、Noを突き付けた訳であります。その時に、彼が述べたものは、「商人の儲けというものは、武士の俸禄と同じである」といったことでありました。儲けるということは、武士がお給料をもらっているのとまったく同じである。さらに踏み込んで言うと、武士は、世襲制であるのに対し、商人というものは、二代目に才能が無ければ潰れてしまうのだと言い切ります。であるが故に、我々のほうが、武士よりも才覚は高く、武士には理解することができない、切磋琢磨の、生きるか死ぬかの戦場の中で生きているのだと、彼は言い切ったのであります。
商人の「商」という字に関してのお話をさせてください。現代の我々は、江戸時代の文化を経ていますので、儲ける・商売をするということにマイナスのイメージが付き纏いがちであるということも事実であります。実を申しますと、私の家系は殿様の家系でありました。父方は、軍人の家系なのですが、母方のほうが殿様の家系でありました。私が、学習院大学に進学をしようとした際に、祖母が、「今の学習院には、商人の子がいるらしい」といった蔑視発言をしたのであります。この現代でさえ、つまり、我々の祖母の世代でさえ、そのような風潮があり、江戸時代には「石を投げろ!」といったような激しい風潮であったと想像することができるのではないかと思います。色々なものが上手くいかないのは、商人のせいなのだ、とまで言われていました。そんな時代において、彼は、「商人とはいったい何なのか」、商いの成り立ちについてまで、踏み込んだのです。「商い」という言葉の「商」という字。この語源というのは、古代中国にございます。「商」といった国がございました。非常に国土が小さく、地形も山がちであったと言われています。耕作面積も小さかった為、商という国は成り立たないのではないかと考えられていました。そこで、商の国の人々は、周辺諸国へと皆で出稼ぎに行きます。その中で、彼らはあることに気付きます。例えば、あるところには肉がたくさんあって、お米がない。また、あるところには、肉は全く無いのですが、お米はたくさんある。つまり、肉の足りない場所に、肉を持っていき、お米と交換してあげれば、喜ばれるということを考えた訳であります。足りないものを補い、そして、足りているものを他のところに与える、そのことで、人から喜んでいただくということの対価として、手間賃を頂く、と。つまり、この行為によって得られる儲けというものは、松下幸之助も語っておりますが、曰く、「社会のお役立ち料」であるということを、商の国の方々が見出した訳であります。そういった、物事の流通、というものを始めたことから、商売、という言葉が発生したと言われています。
昔は、物の値段というものは、商人が釣り上げている、とも言われていました。これは大きな誤解であります。アダム・スミス曰く、「神の見えざる手」が自由市場には働いているという訳であり「価格というのは天の致すところなり。人知の及ぶところあらざりき」と。つまり、私たちが手を出そうと思って、出せるものではなく、神のみぞ知るところであると、石田梅岩も同じく言っています。尚且つ、当時の皆は、商人が嫌いだ、嫌いだ、と言っていますが、もし仮に商人がこの世からいなくなったらどうなりますか、と問い返します。流通は滞り、結果的に、社会が死んでしまうのではないか、と。商人というものは、いったい何なのか。幕府が人体、つまりは肉であるとするのであれば、商人は血液である。血液を全部抜き、生きられるのであれば生きてみよ。と言い切ったのであります。当然、このようなことを、当時の時代に言い放つ訳でありますから、幕府から捕まる覚悟ももちろんありました。書物を著した際にも、彼は、弟子を皆破門にしています。破門した上で、出版をしています。弟子たちに、危害が及ばないようにしている訳であります。つまり、彼は命懸けで、商人道というものを説いたということです。
彼は、こんな面白いことも言っています。「商売の要諦とは何か」、と。人が生きるということで、一番考えなければいけないことは、何なのか、と。彼はこのように言ったと言われています。それは、「倹約」である、と。倹約こそが、人間、そして社会というものにとって、役に立つことなのだとおっしゃったと言われています。現代の私たちは、倹約と聞くと、つい、コストカットのことを考えると思います。ただ、ケチと倹約は違うということです。ケチというよりも、吝嗇という表現をしておりましたが、吝嗇と倹約は違うのであります。では、倹約というものは一体何であるのか。それは、「いままで3つでやってきたところを、天下のために、2にすること。そして、余った1を、天下のために維持しておく」ということだと言うのです。これが、倹約の要諦であるとのことです。ここでのポイントは、天下のためにやっているかどうかであります。もちろん、3でやっていたことを、2でやるということは、稼働は増加します。但し、人間は知恵が磨かれるのです。商人にとって、悪い状況に自ら飛び込んでいく、いうことが、商人としての才覚を磨くことに繋がり、そして、人間としての才覚を磨くのであると、言うのです。そして、残りの1は何に使うのか。世の中の困っていることのために使いなさいと、言うのです。また、ほかにこのような面白い言葉も残しています。「助けたいと思っても、助けられなかったら、ダメですよね」、と。人を助けたいとき、つまり、人を助けたいということは、愛するということと似ていますが、お金がなかったら助けられないことがあるのではないか、と。ただ、ここでいうお金とは、所詮お金なのではないかというのです。石田梅岩は、言います。たかだかのお金であるのであれば、皆でしっかりと造ろうではないか、と。こういった考えは、後の松平定信に採用され、七分積金(しちぶつみきん)といった火事があった際などの、皆のお金で町を再生させるという、復興システムに繋がっていきます。
最後に、儲けるといこと。この言葉についても説明させてください。儲けるという字は、人偏に、諸々の諸と書きます。この儲けるという字に、君主の君、と書く儲君。もうじぎみ、または、もうけのきみ、と読みますが、これは皇太子のことを意味するのです。儲けるというのは、スペアーという意味を含んでいます。万が一の場合に備えるということが本来の意味なのです。3から2にして、1を蓄える。この1こそがまさに儲けであります。石田梅岩は、「あなたは、儲けなさい」と、多くの人に言い伝えます。儲けるということで、世界が救われるのであれば、あなたは、儲けなさい、と。非常に興味深い言葉であります。
石田梅岩のエピソードで、お話したいものがあります。
あるところに、忠義の忠と書いて、「忠太郎」。次男に「私」と書いて、「私次郎」、三男に、「我」と書いて「我三郎」という三兄弟がいたそうであります。忠太郎は、おとなしく優しい。ですが、その反面、柔弱で勇気に乏しい。私次郎というのは、計算高く、自分勝手、人のことを考えない。三男の、我三郎は、指図されることが嫌いで、何事に関しても負けることを潔しとしない。なので、嫌われることも多かった。
そこである人が三男の我三郎に対し言います。
「お前を見ていると、なんだか心配になる。上の兄弟を見習ってはどうなのだ」、と。「せめて、上の兄弟を見習い、人らしく生きてはどうだ」、と言うのです。すると、我三郎は言うのです。
「それはとんだお門違いである。長男の忠太郎というものは、気が弱く、本来するべきことができないことが多い。次男の私次郎は、何事も自分中心である。なので、自分の得になることでしか動こうとしない。だから、自分が悪者になり、兄たちを引っ張っていかなければ、この家は世間から、軽んじられ、信用を失うのである。だから、私は我を通す。我を通すのだ」、と。「何かをしたら、あの我三郎が復讐に来るぞ、何かをしたらあの我三郎が、と言われなかったら、この家は成り立たないじゃないか」、と言ったとのことであります。それを石田梅岩が、例で引き、「我三郎こそが本当の忠義の忠。忠太郎である。」とおっしゃったのであります。この、長男の忠太郎、私次郎、我三郎、これは、それぞれの人間の心の中にあるお話であります。自分の中にも、おとなしく優しい反面、ついつい優柔不断になってしまう、あるいは利得に動いたりするといった面があるかと思います。そういうことに対し、一方で、これを実施したら嫌われるのではないかなぁ、と思う、我がある訳であります。その我、というものを上手に使うのだ、ということであります。この例話は、石田先生語録の中にあるのですが、つまり、「我を立てよ」ということです。つまり、エッジを立てろ、と。では、どのように我を立てるのか。忠義を尽くそうと決めたのであれば、日本での楠木正成と肩をならべるようにしろ。父母に忠孝を尽くそうと思うのであれば、中国の古典の荘子。早起きしようと決めたのであれば、カラスと鶏と勝負をしろ。体を動かすと決めたのであれば、ムカデより早く動け。貧しい人を助けようと決めたのであれば、人と比べるな。慈愛を、川と比較すべし。自らを川と考え、あの川よりも、自分はきちんと激しい流れで、人々を潤しているのだろうかと。自分の心を明らかにするときは、神様と競え。そして、こうも言ったと言われています。すべての世界の善事をわが身一つに集めようと、我を立てろ、と。この世の善い事は、全部私がするのである。
このような心構えでなかったら、一体人間は何が出来るのであろうか。そのために、お金があり、色々な方とのコミュニケーションが円滑に取れる、そういった面において、商人という人々はどれだけ有利であるかが分からない。つまり、この世を救うのは商人なのだ、と説いたのであります。武士道は、広く知られているかと思いますが、商人道はあまり知られていないのではないでしょうか。それを打ち立てたのが、石田梅岩という人です。この話をこのRCのメンバーの方々にさせて頂けたことを嬉しく思います。お時間がそろそろよろしいようですので、失礼します。ご清聴ありがとうございました。

~質疑応答~
Q:普段は、どのようなことをされていらっしゃいますでしょうか。歴史的な研究をなされているのか、それとも講義が中心でありましょうか。

A:どちらも実施しています。元々は、古文書読みとして活動していました。私が、古文書の崩し字で読めないものは、日本にはありません。東大史料編纂関連の仕事を経て、その後、外務省の外交史料館というところにて仕事をしていました。外務省の外交史料館に呼ばれましたのは、昭和の戦前までの資料は、筆書き・万年筆を使ったもので書かれたものがほとんどなのであります。現代人には、これは読めないので、これらを判別し、活字化していく、といったことも実施していました。一番有名なものですと、鎌倉時代、鎌倉幕府をなぜ鎌倉に作ったのかという通説を覆し、30年後に教科書が変わるであろうという、研究を実施したものではないかと思います。また、歴史コンサルタントという仕事を今年の6月に始めました。歴史に纏わることであれば何でも実施します。
TEDxTokyoへも、2年連続で登壇しました。私は歴史学が専門なのですが、歴史学者の方々を見ていると、非常に貧しい方々が多いのであります。学会の中には、お金を儲ける人は、ダメだといった風潮もあります。私は、自らお金を儲け、そのお金を社員に分配し、さらにそのお金を用いて、より高度な研究や、民間との橋渡しのような、役割を担いたいと考えています。歴史版のさかなくんのようなことが出来ないだろうか、と考え活動をしております。歴史コンサルタントに関してとなっておりますが、日本には、世界で有数の老舗企業が多いのです。100年企業が非常に多いのであります。100年企業が振り返る、これからの100年を考えたときに、過去の歴史から学んだDNAにそぐわないVISIONや経営をご提案させて頂いたりしています。松下幸之助は、大阪の自転車工務店にて働いていました。当時は、自転車はハイカラなものでありまして、そういったハイカラなところにおいて丁稚奉公をしていたからこそ、彼は新しい家電・電機事業といったものに舵を切って行ける訳であります。過去のことに関し、調べ、且つ、今後の100年をこうしていこうという、未来策定などのお手伝いを実施する仕事であると言えるのではないかと思います。
あとは、今日でいいますと、整体のお仕事を手伝っておりました。私の家系は、代々武術を伝えている家柄でもあります。武術の宗家でありまして、その中には活殺術といって殺す術と、活かす術があるのです。その中には、現代では失われてしまった整体の技もたくさん入っておりまして、色々な人に役立てていきたいと思うようになり、施術のお手伝いなどをして周っています。
≪御殿場RC・井上様≫
こんばんは。御殿場RCは静岡県の富士山の麓にございます。日本での日中は、16度の気温でしたが、タイはとても暖かく、過ごしやすい気温と一番に感じました。私の仕事としては、日本の御殿場にて運送業・物流を行っています。直近、タイへと、化粧品の物流を始めさせて頂きました。仕事の関係で、月に約1回、来秦させて頂いております。化粧品は、セブンイレブンや、ファミリーマ―トに、卸しておりますが、セントラルワールドの4店舗において、カウンターで化粧品を提供させて頂いてもおります。日本のTBCという東京ビューティークリニックと提携しております。タイの女性は非常に美容に対しての意識が高いので、TBCの施術を含め、来年以降も、事業をタイで展開していくこと検討しています。是非一度、遊びに来てください。先程、「儲け」についてのお話がございましたが、無料のバウチャーをご用意させて頂きました。ご利用していただけますと幸いです。

≪WAFCAT熊澤様より、絵画展のご紹介≫
アジア車椅子交流センタータイランドといったNGOで仕事をさせていただいています。本日はビジターとして参加させて頂き、ありがとうございます。私どもの財団は、障がい児者の支援を行っています。今月の10月31日から、BTSナショナルスタジアム駅に直結しているMBKの向かい側にございます、バンコク芸術文化センターという美術館において、タイと日本の障がいを持たれた子どもたちが書いた絵画を展示する、絵画展を開催することとなりました。こちらは、国際交流基金バンコクより助成を受け、日本から自閉症のアーティストの方を招待し、31日と1日には、彼によるパフォーマンスも見ることが出来ます。、是非お立ち寄りいただければと思っています。10月31日から11月5日まで開催しています。

≪鈴木会長より閉会にあたり≫
本日は、ありがとうございました。私も歴史が大好きですが、本当に日本の歴史は深く、素晴らしいと感じました。私は口下手ではございますが、大変多くのことを勉強をさせていただきました。お酒のお話も大変参考になりました。私自身、これからも精進して参ります。本日は、改めまして誠にありがとうございました。

20時閉会点鐘

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