2018年1月26日金曜日

第802回バンコクスリウォンロータリークラブ例会(2018年1月23日)


802回バンコクスリウォンロータリークラブ例会(2018123日)

@インターコンチネンタルホテル4

19時開会点鐘

国歌斉唱

ロータリー4つのテスト

 

【メンバー出席者】

平田設立会長、梅村RTN、飯田光孝RTN、中島前会長、スモン前会長、ウィム前会長、山田RTN、栗並RTN、立川RTN、北浦RTN、藤江さん、小田原前会長

VISITING RTN

バンラックRC 鶴田様

岡山北RC 磯島様、大塚様、小野様、高畠様

半田南RC 手島様、都築様、榊原様

東京北RC 和田様

GUEST

ゲストスピーカー三石様

桑野様、横山様

松尾様、安田様

星谷様、佐藤様

村越様、入江様

浜田様、斉藤様

古宮様、早川様

村田様

磯村、藤岡

《誕生日・記念日》

ございません。

 

《小田原前会長より報告》

VISITING RTNの皆様、BKK RTNの皆様、GUESTの皆様、こんばんは。

今回の会長代理を務めさせていただきます、小田原でございます。

鈴木会長ですが、体調不良により日本に帰国しております。来週帰ってまいります。

ロータリー活動ですが、先週今週はありませんので、報告はございません。

半田南RCの方にお越しいただいて、図書支援の贈呈式を、後ほどさせていただきます。

今後のプロジェクトにつきましては、藤江RTNよりご案内いたします。

早めに終わらせて、皆様楽しみにされている三石さんからのお話を伺いたいと思います。

 

《藤江様より報告》

皆様、こんばんは。スリウォンRCのプロジェクトの報告をさせていただきます。

現在グローバルグラントをチェンマイで行う予定です、こちらに向けて準備をおこなっております。先週3360地区のガーバナー様にご挨拶伺いまして、明日チェンマイ北RCにて今回の活動要請をお願いする予定です。チェンマイでの式典は2/22を予定しておりまして、支持代理、日本総領事の方も出席される予定で、ロータリーとしましては天童RCからも5名出席予定です。

このグローバルグラントの許可取得の為に、2/12にクロントーイ幼稚園衛生プロジェクトに参加予定で、こちらは小田原靖さん、飯田直樹さん、飯田光孝さんにご参加いただきます。

その他、今後の予定をお知らせいたします。2/26ソンクラー県での自転車と浄水器の贈呈を行います。このソンクラー県での式典には多くの方に出席していただく予定でして以下読み上げます。玉名RC、盛岡西RC、徳島プリンスRC、焼津南RC、滋賀RC、五所川原RC、東京ベイRCという形でたくさんのRCの方に出席していただきます。

3月になりましてからは東京大崎RC,安芸RCの図書贈呈式を例会で行いまして、3/12にアユタヤ県、3/19にムクダハンで自転車贈呈式を行う予定です。

以上で報告を終わらせていただきます。
 

《山田さんより図書贈呈式》

半田南RCの図書贈呈式をこちらで行わせていただきます。

地酒と伊勢神宮の破魔矢を3本いただきました。ありがとうございました。

では今回2度目のゲストスピーカーの歴史家、三石さんをお招きしております。

よろしくお願いいたします。
 
 

《ゲストスピーカー歴史家 三石晃生様》

皆様、こんばんは。三石晃生でございます。私、歴史学者でございます。今回は山田長政についてお話しようと思います。山田長政を聞いたことがある、知っているという方、挙手をお願いします。最近の若い方、もしご存知ない方が多いようでしたら、分かりやすくお話いたします。なるほど、年齢がわかりました(笑)ありがとうございます。

今回はタイと日本にまつわる歴史について、山田長政を起点としまして、お話させていただきます。時代の針を今から約400年前に戻して、1600年ごろにさせていただきます。

タイの現王朝はチャックリー王朝、その前はトンブリー朝で1700年代半ば過ぎくらいからはタークシン王一代の15年間という非常に短い王朝がありました。

その前のアユタヤ王朝は1350年から400年続きました。400年前というとタイはウートーン王が建てたアユタヤー王朝の頃です。

ウートーン王は国内統治のためセイロン王から上座仏教の僧を招き、仏教を国教化します。これが仏教国タイの始まりです。

16世紀頃からアユタヤー王の最大の敵はビルマでした。実は16世紀、タイはビルマに負けて属国となっていました。それまでをアユタヤー王朝前期と呼びます。ビルマの属国になり続けていたら、今のタイは当然ミヤンマーになっていたはずですが、こうして独立したのはナレースワン王、16世紀の王です。通称、黒の王。彼はビルマからの独立の奇怪を虎視眈々と狙っておりました。インドの武術カラリパヤットを源流に持つもつ武術を兵士たちに修練させました。これが古代ムエタイといわれるもので、今のムエタイの原型になりました。そのように「チューバサート」という戦勝をまとめた史料の中に出ています。このムエタイ兵士たちの力で戦闘を勝利しつづけ、1600年頃までにアユタヤー王朝を回復させております。

タイで大王と呼ばれるのは7人しかおりませんが、このナレースワン王は大王の一人です。50THB紙幣の裏側の肖像の人物が、ナレースワン王です。

 しかしアユタヤー王は結局は18世紀にビルマに侵略されて敗北し、アユタヤを放棄してバンコックに都を置いた王朝がたちますが、それが現在のチャックリー王朝です。

さて、この話が一体日本人と何の関係があるのかと思うかもしれませんが、この当時、さまざまな理由で日本には職能の人々があぶれていました。

 それが戦士階級、武士です。武士というのは正確な言い方ではありません。仕える者がいて武士ですので、仕える者がない戦士を「牢人」というのであります。

徳川時代、1604年に朱印貿易が行われ、廃止される35年までに350隻以上の船が海外に出ています。

それより前、豊臣秀吉の頃に伴天連追放令が出されています。キリスト教が邪道だという意味ではなく、日本人が海外の人々に誘拐されて奴隷として売られており、秀吉がよの日本人を買い戻す為にコエリョというイエズス会の日本準管区長にしかるべく処置をするよう通達したのですが、取り締らなかった日本側に落ち度があるコエリョが抗弁して秀吉が激怒し、伴天連追放令が出されます。大きな理由の一つは奴隷問題です。

さてその文面の中にこんな事がでてきます。

「予(秀吉)は商用のために九州に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、奴隷として彼らの国へ連行していることも知っている」

 買っていたのはポルトガル人だけではなく、シャムやカンボジアも日本人を奴隷として買っていた事実がありそうです。

この頃になると東南アジアの各地で「日本街」が形成されるようになりましたが、これを朱印船貿易の基地と考えるよりももしろ、奴隷として買われていた日本人達の居住区という要素もあったと思われます。

さてここで疑問が出てきます。シャム人が日本人を奴隷に買ってどうするつもりなのかということです。この頃のシャム、アユタヤー王朝は常に危機と隣り合わせにありました。隣国のビルマ、北方に位置するカンボジアに備えておかなければなりません。そして反乱もおこりえます。そのためには強い兵が必要です。アユタヤー朝はポルトガル人鉄砲傭兵隊を組織したようです。銃の扱いには慣れておりますし、体格も東洋人ではないので頑丈です。ビルマのタウングー王朝側でも同じように傭兵ポルトガル人鉄砲隊を組織しました。お互いポルトガル人同士で殺し合いをしたくないということで、発砲せず全く使い物にならなかったようです。アユタヤー朝は「有能な兵」の不足に悩んでいました。経験豊富で勇敢な傭兵として、日本人を必要としていたようです。

戦国時代など刀を持っていたのはのは武士だけではありません。豊臣秀吉は方広寺の対物殿を作るので、刀、槍をだしてくれという「刀狩令」を出しましたが、あれは農民が戦闘能力を持っていたということです。当時の日本の農民は、奴隷で連れて行かれても、向こうの農夫より遥かに高い戦闘能力を持っていたでしょう。

さらに関が原、大阪の陣の後になると主人なしの武士、「牢人」が増えます。国内では無用の彼らですが、アジア情勢を考えると高い需要があった訳です。それがシャムのアユタヤー朝ということです。

秀吉の言葉にはこうしたアジア情勢の理由がありました。

山田長政の人生を軽くお話したいと思います。生まれはおそらく1590年頃、生地がはっきりしておらず、静岡、駿河、伊勢という説もあります。奴隷として連れて来られた際に、出生地をぼやかした可能性もあります。

もともとは徳川十六神将の大久保忠佐、沼図藩主の駕籠かきをしていたといわれています。その後シャムに渡り、貿易と日本人傭兵に携わったとされています。

その後、ソンタム王の信任を得て官途へ進みますが、その死後、の後継者問題とアユタヤの貿易を独占していた日本を落とそうと中国華僑がこれに乗じて圧力をかけ、山田長政はマレーシア、今のナコーンシータンマラート県に左遷されます。その地の戦いで、毒矢がもとで亡くなってしまいます。

その後、日本人傭兵は長政を殺した勢力に対して反抗しますが、日本街は焼き払われてしまいますが、焼き討ちの寸前に商船に乗り込み、追撃をかわしながらカンボジアに逃げていきます。

1623年にアユタヤー朝の使節が徳川幕府に対して、「カンボジア軍の中に日本人兵が混ざっているので、取り締って欲しい」という要望を出しています。カンボジアでも日本兵は重宝されました。

タイではアユタヤー朝の時代から、山田長政が名実共に認められたように、実力主義でした。これこそがタイの発展を支えている要因ともいえます。

使える者にはそれなりの地位と権限を与えるという考え方は、チャックリー王朝、アユタヤー朝から引き継がれています。

皆様は異国で自ら持っている力を利用し、または新たに気づき、切磋琢磨し、行動力に溢れて活動しています。そしてこのロータリークラブで慈善事業をされていらっしゃいます。日本人でありながら、異国で活躍する皆様はまさに現在の山田長政なのでございます。

そしてこの地で活動されるとことで、日本とタイ両方の発展と潤いを与えます。これからも変わらぬご活動を、山田長政として続けていって欲しいと願います。

以上でございます。ありがとうございました。

 

《ラッキードロー》

梅村RTN

 
《小田原前会長より閉会の言葉》

三石さんの面白いお話、ありがとうございました。まるで1600年代にいたかのような、見てきましたかのような気分になりました。楽しい時間でした。また3ヶ月ごとに講演していただければと思います。

皆様、本日はお越しいただきましてありがとうございました。

802回、バンコクスリウォンRC、閉会いたします。





 
 

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