2018年2月24日土曜日

第806回バンコクスリウォンロータリークラブ例会(2018年2月20日)



806回バンコクスリウォンロータリークラブ例会(2018220日)
@インターコンチネンタルホテル4

【メンバー出席者】
中島様、スモン様、梅村様、ウィム様、鈴木様、山田様、小田原様、栗並様、飯田直樹様、北浦様、藤江様、立川様、入江様

19時開会点鐘
国歌斉唱(タイ・日本)
ロータリー4つのテスト

VISITING RTN
天童東RC 赤塚様、武山様、ユイガキ様、阿部様
七尾みなとRC 戸田様
海南RC 岡本様、
富士吉田RC 畠野様

GUEST
幸長様
ヴィヴィアン・クアン様
ヤマキ様
栗原様
山本様
磯村様
萬様
藤岡様

《鈴木会長より・会長報告》
ゲストスピーカーの幸長さん、たくさんのゲストの方々、ロータリアンの皆様、こんばんは
本日はグローバルグラウンドでチェンマイに明日(21日)、チェンマイに行っていただく天童RCの方々も集まっていただき誠にありがとうございます。
そして、私事でございますが、昨年から病気をいたしまして日本とタイを行き来している生活を送っています。自分の病気と闘いながら、周りの人たちのサポートもあり何とかここまでやってこれましたが、この先少し休ませていただき病気療養に専念をいたします。仕事も小さな会社ですけども、トップを維持していけたらなと思っております。
そして、次の会長エレクトの北浦様が7月から就任していただく予定でしたが、今週末にクラブに出ていただいて、31日(木)から交代という形にさせていただきたいと思っていますので、来週まで務めさせていただきます。
今後ともご支援をいただき、なにとぞよろしくお願いいたします。
私の話はこれで終わらしていただきます。

《飯田前会長よりプロジェクト報告》
ロータリアンの皆さん、ゲストの皆さんこんばんは。
今年の一年間の我々のプロジェクトをご紹介したいと思います。
今年は全部で13回ございます。1110日に徳山東RCの浄水器から始まりまして、1127日、124日、114日ということで、今日にいたるまで4回実施をしてまいりました。そして明日(221日)は5回目になり、非常に大事なプロジェクトということをご認識していただければと思います。
天童東RCの寄付金の額は7万ドル(約670万円)で浄水器22台を3つの県(チェンマイ、メーウォンソン、ガッターコ)にある16か所の学校の贈呈をいたします。来週の26日はソンクラー県にあるハジャイで支援プロジェクト、36日はチェンマイ、12日はアユタヤ、19日はムクダハンでプロジェクトを行い、そして456月と立て続けにプロジェクトが行われますので、スリウォンの皆さんは参加をお願いいたします。みんなでプロジェクトを盛り上げていくことが我々のステータスでもあります。どんどん参加をお願いいたします。
最後に、今年一年間の支援金の総額が630万バーツ(約2,000万円)です。
そして我々が社会に貢献をしている額を合わせると870万バーツ(約2,500万円)になります。
これで話を終わります。ありがとうございました。

《天童東RCの赤塚様より挨拶》
皆さんこんばんは。天童東RCの会長を務めさせていただいております、赤塚と申します。私は雪が4メートルも積もる山形県の天童市から来てまいりまして、今は32度の暑い地にやって参りました。
スリウォンRCの皆様にお会いすることを、大変楽しみにしてまいりました。
また、阿部元会長に連れられまして、十数年前に初めてスリウォンRCに足を運ばせていただき、大変感激をいたしました。
といいますのも、浄水器寄贈の話になりますが、タイの東北の地方にまいりまして、私どもと一緒に浄水器寄贈を経験し、子供たちから暖かい歓迎をいただき、笑顔が今でも忘れられません。これまで歴代の会長方を初めとし、その子供たちのために何ができるのかをクラブで話し合いまして今に至ります。
現在と十数年前を比較してみると、スワンナプーム空港からバンコク市内まで行くのに大分様子が変わりまして、高いビルが立ち並び、発展のスピードの速さに本当に驚いております。
明日からチェンマイに行ってまいりますが、また子供たちの感動を見られることを心から楽しみにしております。またスリウォンRCの方々と共に頑張る所存でございます。
今後とも末永いご支援と、スリウォンRCの発展を願いまして会長の挨拶とさせていただきます。本日は本当にありがとうございました。

《入江ロータリアンよりメイクアップ報告》
今月から入会したばかりで緊張しております。
先ほど福岡からバンコクに戻って参りまして、214日のバレンタインデーに福岡RCに参加させていただきました。会場は日設グランドホテルでした。
会員数が約140名で非常に大きなクラブでございました。福岡の中では一番古いロータリークラブでバナーの交換もさせていただきました。
なんと、博多織を施した素敵なバナーです。
翌日(15日)は東京方面に行きロイヤルパークホテルで行われている、東京ベイRCに参加させていただきました。20名ほどのクラブで、福岡RCと同様にバナー交換をさせていただきました。両クラブとも暖かく歓迎をしていただき、東京ベイRCの皆様から寄付金を預かって参りました。235千円の寄付金をいただいてまいりました。
報告は以上です。ありがとうございました。

ゲストスピーカー幸長様》
皆様こんばんは。只今ご紹介をいただきました、NEW-ERA INTERNATIONAL株式会社及び
Y GLOCAL株式会社の代表の幸長かなこと申します。本日はゲストスピーカーとしてお声掛けをいただきまして、非常に光栄です。
本日のお話ですが、何を話そうと非常に迷いまして、ビジネスのノウハウやタイなどは、先輩方がたくさんいる中で話すのもどうかと思い、私自身のことについてのお話をさせていただきます。過去と今とこれからのお話をさせていただきたいと思います。
今回は、ブルーオーシャンを泳ぐというテーマでお話をさせていただきたいと思います。
ブルーオーシャンとは、経営戦略論の一つであり、マーケティング用語として最近使われるようになりました。
競争相手のいない未開拓市場などを意味し、現在ではブルーオーシャンに因んだ本などが出版をされております。
反対の言葉として、レッドオーシャンという言葉があり、この意味は競争の激しい既存市場と言われております。簡単にブルーオーシャンの説明させていただきました。
まず、私の自己紹介でタイに来るまでの間を説明いたします、
1982年兵庫県姫路市で生まれ、海外好きの両親に連れられ、いろいろ国に旅行に行っておりました。
小学校6年生の頃に初めて親元を離れ、ニュージーランドに留学をし、現地の学校に通い、現地の家にホームステイを経験しました。そんな経験をしていつかは、日本を出て海外で暮らしてみたいと願望が芽生えました。
小さい頃の私は、好奇心旺盛でわんぱくで、男の子みたいな女の子でした。
正直に申し上げるとあまのじゃくで負けず嫌い。
中学進学時にアメリカンスクールに通い、英語の勉強してみたいなと思い、両親に相談をしたのですが、通学が不便で断念しました。
高校進学時の時は、海外よりも芸術に興味を持ち、地元の工業高校のデザイン科に進学をしました。長期休みなどを利用し、海外に短期留学をしていました。
2001年の高校卒業を機に、大学進学を考えましたが、学ぶという目的を見出せなかったので、両親に相談をしたところ、海外を勧められ海外留学を決めました。
まず海外の行き先を考えましたが、留学として一般的な欧米などには興味を持たず、以前からアジアに興味があり、珍しい言語を習得したかったのでタイに留学をしました。
その後の6月にシーナカリンウィロート大学のタイ語コースを受講し、タイ語の読み書きを勉強しました。
2002年から就職活動をしましたが、異国の地なのでどうやって仕事を探せばいいのかもわからず、求人求職の掲示板を見つけて、なんとか求職活動をし、奇跡的に声をかけてくれたアパレル企業に就職をし、通訳フリーランスのお仕事をしていました。
その後はもっと新しい業種で働きたいと思っていたら、ちょうど製造業をタイで立ち上げたいという経営者と出会い、タイ語などのサポート役としてお手伝いをしていました。
その時初めて製造場というものを知り、製造業は機械が物を作ると思っていたが、機械を動かすのは人であるということが大事だと感じ、製造業にどっぷりハマりました。
その会社が立ち上がる際に正社員として雇っていただき、完全にアパレル業界を退職いたしました。
その後、再びご縁があり、一社目となるNEW-ERA INTERNATIONAL株式会社を設立いたしました。こちらは自動車の電気部品を製造している企業です。
゛女性では難しい業界で大変でしょ゛とよく言われますが、働いているスタッフは女性が多いので、共通する部分があったりして、あまり大変とは思わないです。
企業をして2年が経ち、和協会に申し込みました。当時は小田原さんが役員を務めておりました。
2013年には2社目になる、コンサルティング系の事業を行う、Y GLOCAL株式会社を設立をいたしました。
そして今年の2018年にはWAOJEバンコクの支部長に就任させていただきました。
この話を振り返ってみると、私はブルーオーシャンの住民だったなと思います。
そしてブルーオーシャンの住民になる方法がいくつかあります。
一つ目は人が真似していない且つ、自分がワクワクすること、まだない価値を創造する、厳しくても成長のできる場に自らを置く。
これがブルーオーシャンの住民になる方法だと私は思います。
私は数えきれないほどの失敗をしてきましたが、゛人生において起こっている事は全て、自分がしてきた事の結果、もしくは運命であり、災いさえも今後の人生を豊かにする勉強材料であること、楽観的且つ感謝の気持ちで受け入れる、そしていいときはおかげ様の気持ちで、謙虚に過ごす、そうすることで心が豊かになり、愚痴が出ず道が開ける。゛
これは私の一つの心得であり、ビジネスでもプライベートでも躓くことがたくさんありますが、この心得を常に思っていたからこそ、周りの助けがあり今の自分があるかもしれません。
なので、これからも同じ気持ちで過ごしていきたいと思っています。
本日は長いスピーチでしたが最後までありがとうございました。


20
時閉会点鐘








0 件のコメント: